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1月6日

昨夜は息子が付き添った。睡眠薬、ステロイドで1時間半位は寝れたようだけれど、後は5分寝ては起きるの繰り返しで吐き気、胸の辺り苦しさが続いている。トイレもフラフラで支えてあげないとダメで便器の中に出来なかったらしい。起きるとうつろな状態で場所を必ず移動したがるので介護も大変だった様子。痛みはパッチ、座薬で治まっているようで痛みはなかったそう。息子には気を使うみたいで「寝てていいから」と言っていたそうだけれど、そんな状態なので全く寝る事は出来なかったらしい。
朝から昼までは母の介護の番でこの状態の継続だった。母の目が赤くなっていた。昼頃丁度親戚の叔父さん、叔母さんが来ていた時は床に転がって寝ている時だった。気がついているようだったけれど父は話す事は出来なかった。皆が帰った後私の番になったら父は直ぐにまとまった時間寝る事が出来るようになってきた。ヒーリングは出来ないと思っていたけれど、1時〜7時までに5、6回しか起きなかったのでヒーリングする時間がたっぷりあった。親戚の人と母の友人が来た時、この時の父はビックリする位の笑顔を見せ、まともに話が5〜10分程出来たのでビックリしてしまった。
起きる度に苦しいから看護師さんに薬を持って来てもらってくれ、とか吐いたりする。痛みもありパッチはいまだ最高量になっている。血圧、酸素量、体温はいいそう。夕方は少し熱が上がっていて7、5°になっていた。
今日の夜は姉が付き添うと言っていたけれど、母が付き添う事になった。帰りに姉が母を気遣ってこれだけ寝れるなら看護師さんに頼んだらと言っていたので、そうする事に決まって帰ろうとすると父が気配を察したのか起き上がって、いてほしいと言う。結局母が付き添う事になった。母は80を過ぎているので介護するには大変な年である。看護師さんは皆母にも気遣って下さっていて寝てていいからと言って下さるよう。
死ぬ間際までどんな状態でも耳は聞こえているからと看護師さんに言われたそうだけれど、気持ち良さそうに父が寝ていると母がこんな状態でスーっとあの世に行ってくれたらいいのにと言っている。父は父で母よりも早く逝かないと母に申し訳ないと思っている。
父は「お前と結婚して良かった」と言っていたそう。

1月5日

朝友人に病院へ連れて行ってもらった。友人の顔を見て誰だかわかった様子だったけれど話す事も微笑む事も出来なかった。まとまった時間寝る事が出来るようになってきた。痛みが全くなく吐き気も治まっていたが、胸の辺りが少し苦しいと言っていた。
昼過ぎひ孫の顔を見てほんの少し微笑むだけだった。夕方7時位はまた吐いていた。今夜は私の息子が泊まる事になった。トイレに自分でまだ行けるのが不思議。
母が父の頭を撫でながら2枚目が5枚目にも6枚目にもなってしまったねと言っていた。

1月4日

先生から今日か明日まででしょうとの宣告があった。睡眠薬の提案をしたら死期を早めるとは言われたらしいけれど睡眠薬も入れて貰う事にした。
ヒーラー先生には今までのお礼をいい、余命が告げられた事を伝えた。最後までヒーリングを続けて下さるとおっしゃって下さった。夕方7時位に病院は行ったら大分楽になったと言っていた。この日の夜は母が付き添った。睡眠薬で3時間程寝られ、その後は5分程寝てはむくっと起き上がって付き添いのベッドへ行っては寝たり、場所を移動していたそうだけれど大分楽になって苦しまなかったらしい。

1月3日

病院からの連絡で父が誰かそばにいてくれないと不安で仕方ないと言う事で誰か常に付き添って下さいと連絡があった。
この日娘と孫の顔を見た父は凄く嬉しそうでその時は「いい子だ、いい子だ」と孫の顔を見て嬉しそうに笑顔を見せた。父が笑った顔を見るのは久しぶりだった。今日は比較的長い時間喋っていられる事が出来た。
姉と私がいる時しんどくて仕方ないから先生に注射で楽に死なせてくれないかと頼んでみてくれと言ってきた。姉が「一日でも長く生きられるようにする医療なのでそれは出来ないよ」と答えていた。
今夜の付き添いは私がする事に決まった。
11時頃までは2時間位まとめて寝る事が出来ていた。12時以降は5分位寝てはむくっと起きて「しんどい、しんどい」の連続だった。幻覚、幻聴、胸の辺りの苦しさ、嘔吐、痛み でもまだ歩いてトイレには行ける。「一人でここにいたら死んだ方がいいな」ともらした。
「物凄く気分が悪いなー、一番きついやつ(薬)やってもらいたいなー」と看護士さんに言っていた。何度も看護士さんを呼び出しているので、いつもこんな風なんですか、と尋ねたら、今日はいつもより症状が酷いらしい。こんなに辛そうで寝られないのではあまりにも可哀想なので睡眠薬でも出して貰ったらと提案してみた。

麻薬性鎮痛剤

麻薬性の鎮痛剤は痛みをとってくれるので今の父にとっては欠かせない。強い痛みを思えば副作用がどうのこうのとは言っていられない。私は以前血流が良くなる漢方薬を飲んでいた事がある。そしたら痛みが随分と楽になった記憶がある。血液を浄化させ流れを良くするイメージでもヒーリングしてみようかと思う。

新年

早々から病院へ行ってきた。幾分か父は良くなっているような感じだった。病室へ着いた時父はパジャマを丁度着替えようとしていた。パジャマを着替える気力がある事に驚いた。今日は丁度親戚のおじさんとおばさんが来ていて、父は殆ど寝ていたので休憩所(10m位離れた所)でお茶を飲んでいたら父が歩いて来た。薬を飲んだばかりで吐いてしまったが、みんなと一緒にいたいと思ったのかもしれない、椅子に座って寝ていた。病室へ戻る時歩いている父を見て看護師さんがちょっとビックリした顔をしていた。母は父はもうダメだと思っていたようで、今日の感じだとまだ2ヶ月位は生きれそうだと言っていた。
父は私の娘からの写真入り年賀状をみて随分経った後、「本物は?」と会いたいようだった。二日後に来るよと言ったら納得していた。本物?本人の事かな?周りがみんな笑っていても今の父には笑う元気がなかった。

父の様子

外出許可で家に戻った時はお風呂に入る事が出来たようだけれど、ここ数日は寝てばかりで母や姉が行っても寝ているそう。痛みが取れないので麻薬性鎮痛剤の座薬とパッチを2個貼っている。パッチ1個では痛みが取れなく2個はやむを得ないよう。2個貼ると全く食べられず食物を見るだけでも吐き気が出るよう。ひたすら眠り、机の上のカレンダーに熱、とかおかゆとか前書いていたような記録も3日ほど空欄になっていて書く気力もないよう。病室の中にあるトイレだけは何とか頑張って行けている。意識はもうろうとしているようだけれど、呼びかけるとちゃんと答えてくれる。痛みが酷くなると麻薬性鎮痛剤は普通の意識状態では効果が現れないのかもと感じた。私のヒーリングは効いているのか否かわからない。つい最近まで奇跡を起こしてくれていて元気だったのにと思うと泣けてきた。

外泊許可

父は入院するまでもなかったと聞いていたので直ぐに退院出来るものだろうと思っていたけれど、麻薬系鎮痛剤の影響なのか、ほんの少ししか食べれないらしいので、退院はまだ無理のよう。今日は外泊許可で家に戻ってもいいそうで母と姉と一緒に迎えに行った。痛みがまだあるそうで、歩き辛そうだった。病室から病院のロビーに出るまで杖をつきならが休み休み歩いていた。普通なら骨折している部分にコルセットなりを巻いて固定するのだろうけれど父の場合ストマが付いているのでそれが出来ないので余計辛いのかも知れない。痛みは鎮痛剤で完全に取れると思っていたので痛みを取るヒーリングを怠っていた。ヒーリングをプラスする事で痛みが取れてもどうせ薬のお陰としか思わないだろうとひねくれていた面もあった。今日の父を見てそんなひねくている自分自信を反省させられた。父に会った日はイメージがしやすいのでヒーリングが繋がり易いように感じる。
母は父は自分の病気の事を理解していないので圧迫骨折が治ったらまたダンスに復帰出来るだろうと考えていると言っていた。私も父と同じ考えでまたダンスに復帰出来ると信じてヒーリングをしている。そう言う思いは本人、治療する人にとって不可欠であると思う。

再入院

父は痛みを何とかしたくて鍼にも行ったようだけれど、痛みが治まらず再入院した。痛み止めの麻薬系のパッチを鍼のテープを取る時に一緒にとってしまったようで看護師さんにパッチが貼ってない事を指摘されたらしい。パッチさえ貼れば痛みはかなり治まるようなので本当は入院するまでもなかったようだけれど、入院手続きをしてから気が付いたので再度入院になった。圧迫骨折は痛そうだから少し安静にしているのがいいのかも知れない。

退院

今日父は無事退院した。食事も普通に取れるようになったらしい。
腰の痛みは圧迫骨折が2ヶ所あり、それで痛みが酷かったのかもしれない(癌性疼痛もあるようだけれど)。医者に転んだか尻もちをついたりしなかったかと尋ねられたようだけれど、ダンスとは言ってないらしい。腰が少し曲がっていたのに無理をしたのかもしれない。薬が山のように机の上に置いてあってボケてたらとても飲めないと笑っていた。抗がん剤は今休憩中だと言っていたので、「もう飲まなくてもいいんじゃない」と言ったらノーコメントだった。痛み止めは座薬や湿布、麻薬系の薬も調合されている。
水腎症が片方の腎臓にあると言っていた。

父の様子

今日は幾分か食べれるようになっていた。お茶など飲む事も出来るし、おかずはほんの数口しか食べていなかったが重湯は殆ど平らげていた。熱があるようだけれど割と元気そうで数読をしていた。朝は少し調子が良かったので1000歩歩いたらしい。一つ点滴をしていたけれど、痛み止めの点滴は外れ今は座薬と湿布をしていると言っていた。
母は父が入院すると物凄く楽だと言っている。結構食事の支度が大変であれこれ文句を言う事が多いので手間ばかりがかかると嘆いている。病気になってからは家族が優しいのでワガママになっているそう。人口肛門にしてからはトイレの掃除なども大変でやはり家族は介護がいらないとはいえ、大変な思いをしている部分もあるようだ。

入院

父の画像、血液検査の結果は先回と殆ど変わらない状態らしい。と言う事は身体のあちこちにガンが転移している訳ではないので、やはり直腸辺りの肥厚している所が怪しいのかもしれない。抗がん剤自体がマーカーを上げる性質があるのかも知れないけれど、それにしては異常に高いのでやはりガンがあると考えるのは妥当だろうから。それか切り取ったスキルス胃ガンが酷くなって来ているのだろうかとも思う。
痛み止めの薬はやはり麻薬系の薬が処方されていたようで、副作用が出たのかもしれない。
何とか痛みが治まって食欲も出てくれると有難いのだけれど。
足の異様なむくみは前見た時にかなり引いていて、僅かにむくんでいるかなという程度になっていた。昨日姉がすっかり良くなっていたよと教えてくれた。
昨日は柔らかい物を一口二口食べれるようになって、数読も少しやろうかなという気が出てきたと言っていた。

入院

父は昨日から食欲がなく今日点滴をしてもらう為入院したらしい。直ぐに元気になって退院してくれるといいのだけれど。年老いた父には薬の量が多すぎるのではないかと気になってしまう。

ダンス再開

父の通院日だったので実家へ寄って来た。顔色は良く、食欲旺盛で最近は2㌔太ったと言っていた。マーカーだけが高く他の数値は割といい数字が出ている。白血球は4600、血小板も基準値内だった。マーカー値が高い割に元気がある。でもダンスへ行った後ここ一週間程腰が痛かったらしく、病院で貰った薬を飲んだら凄く楽になったと言っていた。いつもは6週間置き(4週抗がん剤を飲んで2週休むのサイクルで)病院へ行っているのに次の予約が2週間後でどうしてかと尋ねたらその調合された痛み止めが合うかどうかを見るためらしい。私がまさかそれモルヒネ?と尋ねたらそうとは言っていなかったとは言っていたけれど。薬の処方箋は私が目につかない所にあるのだと思う。私は全く知識がないくせにどうのこうのと喋りだしたら母の機嫌が少し悪くなった。抗がん剤はもちろん処方されているはずだし、今更あれこれ言う気もないけれど。私は以前よく腰が痛くなっていたけれど、腰の痛みは本当に辛かった。痛い時にヒーリングしてあげられる訳でもないので仕方ないかな。
昨日もダンスに行ったそうだけれど昨日は殆ど見ていたらしい。ダンスの仲間達との交流は父にとって大事なひと時なんだろうなと思う。

朝の散歩

足のむくみは少し良くなってきたらしい。この間は6000歩も歩いたと言っていた。この調子ならダンス復帰も夢ではないかも。今朝偶然父が朝散歩をしている所で会った。何だか嬉しそうで私も嬉しくなった。

足のむくみ

父の様子を見てきた。最近急に足がむくんできたようで病院へ行ってきたらしい。特に何と言われた訳ではないけれど、運動して足を動かしなさいとアドバイスがあったらしい。
両足ともくるぶしより下、足の甲がかなりむくんでいた。抗がん剤の副作用なのかよくわからないけれど足が細いのでむくみが異様に見えた。痛くはないらしく朝の散歩は2、3千歩歩いているらしい。術前はよく腹筋をしていたようだけれど、術後はお腹に力が入らないと言っているのでその影響か腰も少し曲がってきた。自分には介護は必要ないと信じているので出来る限りその期待に答えてあげたい。

父の様子

父の様子を見に行ってきた。顔色も良く元気そうだった。朝少し散歩に出かけ、数読をしているらしい。さすがにこの頃ビールは飲んでいないけれど梅酒を飲むようになった。昔程じょう舌になる程は飲めないのだけれど飲めるだけ有難い。痛み止めは飲んでいるのかわからないけれどお腹の痛みはなく、お腹に力が入らない感覚があると言っていた。私が「手術後にしては調子がいい方だよね」と言うと「滅茶滅茶いい方だ」と嬉しい言葉が帰ってきた。母が最近父は少し腰が曲がってきたかな、年だからねぇ、とは言っていたけれどきっと直に元に戻ってくれると思う。

余命宣言

父のステージはⅣ。あちこち転移している訳ではないのであと残り数ヵ月と言う訳ではなく1年位もつかも知れないとの事。

私の事だけれど以前「5年は持つでしょう」と医者に言われた事がある。脅かしでも何でもなく真摯に言われた事を私は覚えている。もう10年も経った。日常生活は普通に出来ていたが普通とは違う感覚があり医者の勘は鋭いなと感じざるを得ない面もあった。
まだやらなくてはならない事があり生かされているのかも知れない。昔のままの思考ではとても10年持たなかっただろうなと思う。
自然、心、食品、そして宇宙。 少しずつ何か大切な物を教えて貰っているような気がする。

病院

昨日病院へ行って父の画像診断の結果など色々聞いて来た。直腸の狭窄は腸閉塞だったらしい。それで人口肛門を付けたとの事。腫瘍マーカーがまた上昇していた。しかし肺とか肝臓とか何処にも転移はないそう。骨盤内に骨転移していると姉から聞いていたのでその事を尋ねると骨転移ではないとの事。腫瘍マーカーが高い事と直腸が腸閉塞の為狭まっていてその肥厚している部分にガンがあるのではないかとの先生方の見解のよう。画像では骨の近くの部分でガンが写っている訳ではなかった。直腸ガンでもないとの事。細胞診の結果もガンとは言われなかった。
それなのに遠隔転移のガンと言われるのはちょっと腑に落ちなかった。
ストップされたと思った抗がん剤もまた処方されていた。抗ガン剤の効き目はもうないという事でストップされたのは入院中だけのよう。抗がん剤が効いたので今まで良好に来られたと考えるのが普通ではないかと、やはり気功を嫌っているように感じられた。本人が抗がん剤を望むのでお出しした、とは言っているもののどうかなと思ってしまう。父は先生まかせでとにかく何も言わない。
私の気持ちを少しも考えて下さらない事に悲しさを覚えた。
先生は私が家族と一緒に来られない事情を知ってみえる上で、今度からは本人、家族の方と一緒にいらして下さいと言われてしまった。
今後検査があっても私はもう病院へは行きたくないと感じた。

退院後

先日の台風の日には私の家に父、母、姉が避難しに来た。退院後は父の調子があまり良くないらしくお腹、腰の辺りが不調だと言っていた。歩き方もやっと歩いているといった感じだった。術後なんだから当たり前といえば当たり前。数読も最近はすぐにギブアップでここの所やっていないそう。三食以外にも間食してばかりいるらしいので母が怒っていた。もう少し甘い物をコントロール出来るようになるといいのだけれど。最近は寝てばかりいるらしい。
あれこれ話をしながらずっと父にヒーリングしていた。すぐ近くでヒーリングをするのは始めてだった。8時間位家にいたけれど寝に行ったのはほんの数十分だけで今日はかなり調子が良かったみたい。ヒーリングで元気が出たのかな?と自己満足。すると母は今日は父はあまり食べていないから調子がいいと言っていたけれど。
父はストマをつけたので障害者認定を受けたらしい。介護認定は要介護ではなく要支援だそう。スキルス胃ガンの手術後2年以上にもなるのに凄いなと感じる。
翌日は通院日だったけれど血液検査はなかったらしい。抗がん剤はもう効き目がないので出なかったとの事。やっと抗がん剤から開放されたと私の心は晴れ晴れ。遠隔転移(骨転移)があると言う事はすでにステージではⅣ辺りなのかな?また今度私一人で病院へ行って先生の説明を聞いてこようと思う。
sidetitleプロフィールsidetitle

葉子

Author:葉子
1959年生まれ、名古屋市在住

父(86才)に遠隔ヒーリングを依頼したのをきっかけに自分からも父に遠隔ヒーリングをするようになる。88才で他界。術後の経過は辛い症状もあったものの比較的良かったように思います。
私自身がまだ生かされている事、そして毎日毎日父に遠隔ヒーリングしていたので他の人の役にも立ちたいと思うようになり現在に至っています。
力になれるかどうかはわかりませんが、ご依頼頂ければ心を込めて遠隔ヒーリングさせて頂きます。

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