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言霊

父の最期の入院の時、そう言えば私にメモを渡してくれた事があった。3文字ひらがなで書かれてあったけれど、意味不明でわからなかった。
その裏に「あいうえお」~「ん」まで書いて、「頑張ってやっとこれだけ書ける」と笑って渡してくれた。
これがもしかすると父の遺言だったのかもしれない。

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誕生日

今日は父の誕生日。生きていれば92才だ。
95才位まで何とか生きられないかと願っていたが考えが甘いなぁ~。自分の考えの甘さに度々呆れ返る。
そもそもスキルス胃がんは発見されてから数ヶ月で亡くなってしまう人が殆どのようだから、父はかなり長い事生きさせて頂いた。
乳癌闘病記で先日亡くなってしまわれた方も不思議と父と同じ誕生日だった。
生まれ変わってまた癌になったら今度はどんな選択をするのだろうかと少し興味がある。
私は乳癌の疑いがもたれた時、しこりも痛みもあった。そしてこれは癌の痛みだと直感した。どうしてなのか、過去世で経験したのだろうか、タダの勘違いだったのだろうか・・・

しかし、病気とかそういった試練がもしかしたら魂の成長に繋がるのではないかと最近思うようになってきた。

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忌明け

父の忌明けの法要が終わった。
母は父が死んでからと言うもの毎日涙していたようだった。
私は人生は生から死、死から生へと永遠に続くと思っているので、感謝しながらあの世に逝けた父は立派に進級したのだからと言う思いから悲しみが和らいでいる。今頃は可愛らしい赤ちゃんになって新たな学習に取り込むスタート台にたっていると思う。戒名を見ると母の名前の一字が入っていた。母とはよっぽど深い絆で結ばれていたのかとも感じる。ならば来世でも母と何らかの形で巡り会うのかなとも思う。魂は不滅なんだからそんなに涙しなくてもと言うアドバイスは母には通じないので黙っているより仕方がないかなと思う。

最後の言葉

父の意識がはっきりとしている時の私への最後の言葉は何だったのか考えていた。『大分楽になったよ』だった。1月4日に医者から今日か明日と言われた日、私はヒーラー先生に昼間電話した。夕方7時頃にこの言葉を父から聞いた。危篤状態になってから17日余り生きる事が出来た。この間みんなで父の看病をする事が出来、大変な看病だったけれど、それぞれにいい思い出になったに違いない。父の手を握る事も出来たし、支えながらトイレに連れて行く事も出来た。「おしっこ」には手こずってしまったが、最後は痛いとか苦しいを言わなくなっていたし、良く寝られるようにもなっていったのが救いだった。そして最後は穏やかな顔をしていた。
亡くなる前日母が「おかあちゃんだよ、見える?」と聞いたら「見えない」と言ったらしい。そして姉の声を聞き、「姉なのか妹(私)なのか」と言ったらしい。何か言いたかったのだろうか。
危篤状態の時、見舞いに来て下さった人達に、調子のいい状態の時は笑顔で応対も出来、少しでも延命出来た事を有り難く思っている。
私はもしかしたら死に目に会えたのかもしれない。死ぬ間際に身体がピクッと動く事があるのだろうか。私が見てた時、頭からつま先までが一瞬動いた気がした。気のせいかもしれない。最後の瞬間だったのかもしれない。その後先生が見えて死亡時刻を告げた。


死因 胃体部低分化腺癌
手術 胃全摘リンパ節郭清 pT3N1MO stageⅢA  手術日2010年5月

悲しみ

昨日母と姉が病院の支払いをする為に車で病院に向かっていた。何度も何度も往復した道で病院へ行けば父がいそうな気がして母も姉も涙が止まらなくなったらしい。こんな状態では病院の中へは入れないからと言う事で引き返し、母は家で安定剤を飲み、今度は叔母さんにも付いて来て貰ってようやく泣かずに病院へ行って支払いをしてきたらしい。
しばらくは悲しくて仕方ない時が続くのかも知れない。

ありがとう

「お父ちゃんありがとう」
ずっと言いたかった言葉を死後父の顔を見て言う事が出来た。
死後にまで香功をして父の魂に気を送った。手が冷たかった。死人の手がこんなに冷たくなるのを始めて知った。
今まで話したかった真実の話をする事がやっと出来た。
まだ意識がちゃんとしている時に私の顔を見てニコッとしてくれた顔が忘れられない。

1月20日 死去

昨夜は誰も付き添わなかった。
朝病院から連絡があり駆けつけた時はもう呼吸をしていない状態だった。まもなく担当医がみえ死亡時刻を告げた。看護師さんの話によると1時間位前まではいつもと変わらずごそごそしていたり、酸素マスクを外したりしていたとの事。穏やかな顔をして死んでいた。
私が死後の検査の事を看護師さんに伝えたので、担当医が解剖をご協力頂けるのならとおっしゃって下さったが母が直ぐに断っていた。直ぐにパニック状態になる母を私は困らせる事は出来ないので母の意思に従う事にした。
スキルス胃がん術後2年8ヶ月生きる事が出来た。その間美味しいふぐを食べに行ったり、ダンスを楽しんだり、数独を楽しむ事も出来た。本人も幸せだったと言っていたそう。
ずっと父に気を送って下さっていたヒーラー先生の存在すら知らずに父は亡くなった。死後は全てを知るのかもしれない。そして新たな人生の始まりでもある。魂に磨きがかかり今度の人生はより素晴らしいものになってくれると確信している。

1月19日

何とか調子を保っているよう。酸素マスクは自分ですぐに外してしまうので何度も口に当てるようにしている。布団も直ぐに蹴る元気?と言うか、不思議な感じがする。また持ち直してくれるのでは期待してしまう。
去年の8月以来画像検査はしていない。腫瘍マーカーの高さと直腸辺りの肥厚している部分にガンがあるのではとの事で再発転移と言う事だった。組織診ではガンは確定されていない。粘膜に顔を出していないガンは取りきれない事もあるらしい。死後にCT検査が出来るのか看護師さんにちらっと聞いて見たらこの病院ではやっていないとの事だった。
ずっと気を送っているからそれ以外の所にガンが新たに出来ているのかも気になってしまうが今の状態では検査は出来ないだろうから分からずじまいになってしまうかも。

1月18日

朝呼吸が苦しい状態になり、酸素吸入器が取り付けられた。座薬も入れてもらい一時間程で呼吸が少し楽になる。医者の話では今晩はもつかも知れないけれど、明日位までと言われたらしい。血圧も70と低かった。夜は私が付き添う事にした。「おしっこ」とは言わなくなっていた。起きると言うので一度ベッドを上げた。目やにで目が直ぐにくっつき最近は目を開けようともしない。とって上げても見ようとはしない。痰の吸引は辛そうだった。容器を見ると凄く沢山の量が入っていた。口の動きが独特だった。酸素吸入の御陰で酸素は落ち着き、血圧は80台になった。足がリズミカルにずっと動いていた。今の父には布団は重くて辛いのかもしれない。直ぐに蹴っ飛ばす。凄く軽い布団を用意して貰っていた。

1月16.17日

結講寝られるようになっている。17日の夜は従兄弟が付いて下さった。

1月16日

昨夜は誰も付き添わなかった。「おしっこ」とは叫んでいるけれど、尿道カテーテルも取り付けて貰って、今はベッドから勝手に立ち上がったり出来ないので肩の荷が降りたような複雑な気持ち。昨夜は痛み止めの点滴もしたそう。
見ている限り最近は痛いとか胸が苦しいとは言っていないので助かっている。身体を動かす時の痛みまでなくなっている。今日も随分と寝られるようになっていたらしい。

1月15日

昨日は息子が付き添ってくれた。看護師さんが睡眠薬どうしますか?と聞いて下さったようで今寝ているからいいですと断ったらしいけれどずっと寝る事が出来たよう。
時々「おい、おしっこ」と叫んではいるよう。
呼吸が4秒位苦しくなった時が2度あり看護師さんを呼んだそう。酸素量はちゃんとあったので大丈夫そう。血圧は98-63と少しだけ低いかな。
普通の会話が全く出来ないので少し寂しくなったりする。ズボン下、靴下などを脱ぎたがる行動もずっと続いている。やはり柵を持って起き上がろうとするようだけれど、起き上がる事が出来なくなっている。
今日は看護師さんが尿の管を通して下さったようだけれど相変わらず「おしっこ」と言っているそう。

1月14日

昨夜は従兄弟がまた付き添ってくれた。昨夜はまとめて9時位から4時半頃まで寝られたそう。痰を看護師さんに一度とって貰ったらしい。「おしっこ」をやはり繰り返してはいたけれど、「家に帰りたい」とも頻繁に繰り返し言っていたそう。点滴が外れないと家に帰れないと言ったせいか、ご飯を15粒位食べた。一歩前に進むのが大変なのに一人でトイレまで歩いて行ったそう。従兄弟は父を励ましてくれたり、手を握ってくれたりしている。力もあるので頭の位置を上げてくれたりもしている。
朝私が行った時父は寝ていた。午前中も3時間位寝ていた。着替えをさせに来て下さる方が紙おむつに出てますよと教えて下さったので紙おむつでも出来るようになってきたのかなと思う。看護師さんが血圧を計りに来た時も「起きる、おしっこ」を繰り返していたので、看護師さんがトイレに連れて行こうと起き上がらせ立たせてくれたのだけれど、2秒程立ってすぐに座った。歩けないから紙おむつにしようね、と一生懸命説得させて下さった。
ベッドの柵につかまり何度も起き上がろうとするのだけれど、今日は自分で起き上がる事が出来なかった。「おい、おい、おしっこ」をやはり繰り返した。
痰の絡みはなく、痛い、苦しいとは言っていなかったが、起き上がらせる時苦しいの?と聞いた時は頷いたが良くわからない。
体温、酸素量は普通、血圧は今日は102とかで気持ち下がっているかなと感じた。最近は幻覚を見ている感じはないように思える。
トイレに行きたいと言う元気があるのにとにかく大人しく寝ていてほしいと言う複雑な心境。

1月13日

昨夜8時頃病院へ着いた時父は床の上に座っていて母に死にたいと漏らしていた。最近はそんな事は言なかったのでおそらく昼間一人の時間が長くて不安だったのかもしれない。母が最近パニック症状の震えが度々起こるようになり昼はあまり付き添っていない。姉も身体が余り丈夫とは言えないので無理は出来ない。
睡眠時間は昨夜も短く睡眠薬を点滴してからの1時間と朝方1時間だけだった。ヒーリングで寝てくれないかと期待したけれど無理だった。トイレは連れて行けないから紙おむつにしてね、と言ってもどうしてもトイレに行きたがり、トイレの床に漏らしてしまうのでトイレまで連れて行って尿瓶でさせるようにした。立ち上がってばかりいるので支えなければならないので介護が大変。でもここの所吐き気や痰で殆ど苦しまなくなってきたし(よだれのようなものが出ている)、痛い、苦しいとも頻繁に言わなくなったので助かっている。
「おしっこ、起きる」を繰り返しているので看護師さんが「おしっこにとり憑かれているみたいですね」と言っていた。「5時」と言い出した時、私が7時だよと言うと今度は「7時、7時」と繰り返しだした。
数ヵ月前足がポンポンにむくんでいた事があったけれど、また同じ感じでむくんでいた。画像検査の時確か水腎症があると言われた気がするのでその辺から来ているのかとも思う。
看護師さんに尋ねたら血圧、体温、酸素量は大丈夫だった。
介護がいかに大変かを少し学べた気がする。父が座っていた時、「絶対に良くなるって思わなきゃダメだよ」と言うとうなずいてくれた。

1月12日

昨夜は息子が付き添ってくれて朝疲れ果てて帰って来た。まとめて寝られたのが夜1時間と朝方少し。痰がやはり大分良くなっているようで痰、吐き気では苦しまなかった。紙おむつに尿をしたがらなく、どうしてもトイレに行きたがり支えながら連れて行って便器に出来ないで床に漏らしてしまうので大変だったと言う。尿が最近あまり出ていないのではないかと思っていたけれど何とか出ているみたい。

1月11日

昨日の昼頃から今日の昼頃まで従兄弟が付き添いに来てくれていた。昨夜は1時間半程しかまとめて寝られなかったみたいで看病が大変だったと思う。
従兄弟が先生に父との関係を聞かれ、そして長くない事も告げられたよう。
後1日か2日と言われた病人がヨタヨタであるが動き回るので何と言っても奇妙に思える。普通そんな宣告をされたなら、もう動けなくてベッドの上で酸素マスクでもして心臓の動きがわかる装置の横にいるイメージがある。
ヒーリングで少しでも寝られるようにしてあげないとと思ってしまうけれど、実際にヒーリングをしてあげられる時間が短か過ぎる。私も疲れてきたせいか今朝は会社を遅刻してしまった。

1月10日

昨夜は息子が付き添った。常に麻薬でもうろうとした状態が続いているよう。昼間も夜もまとめて寝る事があまり出来ないようで、看病が大変そう。
トイレに行きたがるがトイレがどの位置にあるのかもわからない状態、付き添っていても今は危なっかしい状態。おしっこ、起きる、ちり紙?はな紙?とかまるで子供に戻ってしまったような言葉だけが出る。昼間の看護師さんの受け答えは出来ているかもしれないけれどわからない。足にまた多少のむくにが出て来ている。尿が殆ど出ていないような気がする。昨夜息子が付き添った時は痰で苦しまなかったようでビックリした。

1月9日

昨日昼間はなかなか寝ず看病が大変だった様子。昨夜は私が夜付き添う事にした。11時頃まではもうろうとした状態で起きていたり、吐いたりしていた。もうろうとした状態の時、戦争後位に仲良くしていた人の名前が出ていた。
夜11時過ぎに睡眠薬の点滴が始まってから朝までグッスリといびきをかいて寝る事が出来た。同じ部屋に父がいると繋がりやすいのでヒーリングが確実に届く気がする。
朝交代の時、父が目も開けずベッドから降りて壁に持たれかかって立っているのを見て母がまだそんな事が出来る事にビックリしていた。トイレは紙おむつか尿瓶でするように言ってもどうしてもトイレにフラフラの状態で行きたがるので支えがいる。尿も出にくくなっているのか母が連れて行っても全然でないよ、と言っていた。気持ち悪さと痰を出したくて仕方ない状態が続いていている。痰をとってもらうのはかなり辛いようで凄く嫌がる。
最近は便が貯まるパウチの中の便の色が黒色だそう。手は一週間位前物凄くガサガサの手になっていてビックリした。保湿クリームを塗り出してからはガサガサは治まった。足を立てて寝ている時は足が揺ら揺らとリズミカルに動いていたりする。

1月8日

昨夜は息子が付き添った。11時頃胸が苦しいと言っていたので、看護師さんに痰をとって貰ったそう。それから朝まで一度も起きなかったと言う。そんなに長時間寝られたのは近頃では始めて。とにかく起きる度にいつも苦しそうなので睡眠時間が長いと助かっている。
おじいちゃんと話をしたよ、と言っていたので何をと聞くと「地震酷かったか?」と聞いていたそう。「地震?揺れてないよ」と答えたそう。何処かの地方で地震があったらしくそのテレビでも聞いていたのかもしれないし、ヒーリングで揺れていたのか、あるいは錯覚かさっぱりわからない。

1月7日

昨夜はわりとまとめて寝る事が出来たそう。看護師さんが痰をやわらかくする薬を持って来て吸引で痰をとって下さったようでかなりの痰が溜まっていたそう。その後は胸の苦しさが少し楽になったそう。
今朝娘の旦那の祖父が亡くなったと連絡が入った。娘はいつ父の様態が急変するかわからないので家で待機していたが、直ぐに自分の家に戻った。ボケてるけど元気と聞いていたのでまさかの展開に皆驚いた。前日までは元気で朝気が付いたら息を引き取っていたと言う。
母にその話をしていたら、「物凄くいい死に方だね、お父さんは最後の最後までこんなに面倒見させて」と愚痴をこぼしてばかりいた。私はまだわずかしか看病していないけれど、看病がどれだけ大変なのかが少しだけわかった。介護される側もする側も辛いんだ。
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葉子

Author:葉子
1959年生まれ、名古屋市在住

父(86才)に遠隔ヒーリングを依頼したのをきっかけに自分からも父に遠隔ヒーリングをするようになる。88才で他界。術後の経過は辛い症状もあったものの比較的良かったように思います。
私自身がまだ生かされている事、そして毎日毎日父に遠隔ヒーリングしていたので他の人の役にも立ちたいと思うようになり現在に至っています。
力になれるかどうかはわかりませんが、ご依頼頂ければ心を込めて遠隔ヒーリングさせて頂きます。

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